悪い予感のカケラもない、か? 2009年8月
5月9日、忌野清志郎さん告別式@青山葬儀場。
2009(平成21)年8月18日(火)

帰省の道草

 日〜火と盆を外して広島へ帰省していた。一人暮らしの老母がいるので長男業務がもろもろある。毎度のことながら、人生を考えることいろいろ。四苦(生老病死)の意味合いは時代背景で変わるんじゃなかろか、とか、わりと真面目なのだが。

 羽田から広島に向かう機内、着陸の直前になって爺さまがトイレに向かって歩き始めた。CAが大あわてで席に座らせてシートベルトを締めるのだが、彼女たちが自分の席に着くとまた爺さまが歩き出す。繰り返すこと3度、やっと座った爺さまに周囲の乗客が話しかけたりして気をそらしている隙に着陸。そう、一人で搭乗していたこの爺さま、いわゆる認知症だったらしい。高齢化社会の具体的な一場面であるなぁ。

 さてそんな機内で、昨年のことながら吉田拓郎の歌碑が建ったことをふと思い出した。空港から実家へとバスを乗り継ぐ中継点から、アストラム(広島の新交通システム)に乗ると拓郎の歌碑がある広島修道大学(前身・広島商科大学が拓郎の母校)に一本で行けるのである。
 ↓せっかくなので行ってみました。




2009(平成21)年8月11日(火)

ワイドショーの東京

 このところテレビは、薬物使用芸能人の話題でにぎやかですな。小社事務所のすぐ近くのタワーマンションに、歩道に脚立を立ててて日がなたむろする報道陣が増えてきたのうと思っていたら、例の自称プロサーファーのヨメが住んでいたらしい。立ちレポってんですか、レポーターのお姉さんがマンションを背景に連日レポートしている。
 このあたりからは墓地越しに、六本木ヒルズもよく見える。ここもまた最近の薬物芸能人による事件の舞台じゃ。

 田舎の中高生による東京のイメージに「芸能人がそこらへんを歩いとる」というのがあるけれど(わしもそう思っていたような気がします)、姿は見えなくても近くにいることは確か。



2009(平成21)年8月3日(月)

節約

 南青山3丁目交差点を西麻布方向に越えたとたん、前輪からプシュー!という音、あたたパンクだ〜と思うまもなく後輪もプシューと音を立てぐにゃぐにゃしてきて唖然。ガラス片かなにかが飛び散っていたのか、前後輪とも同時にパンクしてしまいました。実は先週、麻布十番で後輪がパンクしてチューブを交換したばかり。なんじゃそりゃ〜と毒づきながらも、パンクしたのがこのあたりで不幸中の幸い。事務所までは500mくらいなので押していける。麻布十番のときはそのあとの打ち合わせも詰まっていて、深夜、クルマで回収にいったのだった。

 事務所には修理セットを常備しているのだがパッチが切れていて、少し不幸を感じながらも昼食に出たついでに、近所の自転車屋(が移転していたはずの場所)にいったら廃業しており跡形もない。結局その足で千駄ヶ谷のなるしまフレンドまで20分歩いてパッチだけ買ってきたのだった。まったくもう。

 7〜8月は、一応自転車通勤はシーズンオフにしてたのだけど、このところ電車賃節約の意味合いからも継続中。今期は体温を超える気温の日がないのが救い。