悪い予感のカケラもない、か? 2009年6月
5月9日、忌野清志郎さん告別式@青山葬儀場。
2009(平成21)年6月26日(金)

ユニバーサル

 今日のFMはマイケル・ジャクソン追悼一色。紋切り型の表現ながらひとつの時代が去っていった気がするよ。いろんなものが軽くなっていった80年代、メディア化され産業化していったあの時代。

 江口寿史のマンガに、老若男女、ハンサムもブスも、畏れ多くて描けないような人も、ゾウをはじめとする動物も、生きとし生けるものものみな眠るのだー、と延々と睡眠シーンを描いた作品があった。で、最後のコマは「でもマイケル・ジャクソンは眠らないかもしれない」というオチだった。つまりはそれだけロボットっぽい印象が強力だったわけ。

 芸能界からエンタテイメント・ビジネスへ、芸能人はアーティストへと変貌していくときの最先端、みたいな印象があったのだ。70年代ほどダサくも熱くもなく、トレンディーであることが、あのころ幅をきかせていた。

「芸能人は国民のおもちゃ」とはタモリの至言だけど、マイケル・ジャクソンは、地球人のおもちゃだったようにも思える。文化を越えたユニバーサルなおもちゃっぽさは空前絶後かも。合掌。



2009(平成21)年6月19日(金)

悠久の大自然

 今朝の『朝日新聞』朝刊によると(って朝が重なりまくりで気になる)、日本の月探査衛星「かぐや」が役目を終えて月面に落下したという。1年半にわたって月を周回しながら「アポロ計画でNASAが得たデータをすべて置き換えられる」ほどの膨大なデータを収集したそうな。
 最後はエンジンを噴かせて軌道計算で予測した通りの場所に落下させたという。技術的な挑戦とその成果なんだろうが、そこはかとなく繊細なものを感じて好感がもてたのだよ。

 というのは同じ記事中に、NASAは今週、月で氷を探す探査機を打ち上げるとあって、こちらの最後は月面に激突させ、上空10kmまで舞い上がった噴出物などと事前に分離した衛星で分析するという。勇ましいっちゃ勇ましいが、蛮勇だと思う。

 いいのか? 誰もいないから、草木も生えてないからかまわん、ということだろうが、月面開闢以来、悠久の大自然が残っているのである。遠すぎて古すぎて当たり前すぎてユネスコの自然遺産登録にもなってないんですが。
 想像力を欠いた地球外生命が、いきなり探査機を北極だかNYだかに打ち込んだらどうなんでしょう。こっちの自然は生命に満ちているのになんてことしやがるんだ、なんて野蛮なことしやがるんだとでも都合よく憤るのだろうか。おれ、スピリチュアル方面の話は苦手なのだが、確率的に低いことを想像力の外においてしまう種類の合理的思考にもときどきひっかかる。

 てゆうか、なんかその独善的なところがたまらなくイヤ。生命がないからかまわんという論理ってどうよ。

 それ、脳死の定義ともかかわる話だと思うのだけど。
 昨日、「脳死は人の死」を前提とする臓器移植法改正案A案が衆院を通過した。乱暴に言うなら「もう死んでんだから、かまわん」ということではないのか? もう少し賢そうに言えば「医学的に死体なのだから、資源を有効配分するのが道理である」ということになるんだろうか。

 移植を心待ちにしている人がいることもわかる。自分の幼い子供がその立場になったら、と思うと胸が苦しくなる。提供する側にしても、自分の命に代えて他者を救おうとする「菩薩の行」なのだと言われると、なるほどそれもそうかなとも思う。
 しかしやっぱり違和感が拭えん。

「世界の標準がそうだから」っていう言い方もいかがなものかと思う。「欧米先進国で近年、多数を占めるようになった意見」てところではないのか。かの地の合理的だけど独善的な価値観を「標準」と丸めてしまうのは乱暴でしょ。
 キンチョールの広告にある「正しいだけの答えなんて、聞きたないんや」という豊川悦司のセリフをもちだすのは不謹慎?



2009(平成21)年6月18日(木)

年齢不相応

 今年も梅雨の季節になって、自転車ツーキンができないのが苦痛。2日乗らないと胸焼けした気分になるんである。それって別の病気じゃないか、という不安も少々、という今日このごろ、日・月曜と、人間ドックに行ってきた。
 今回で4回目となるグランソール奈良。リゾートホテルのような施設に宿泊して、MDCTやMRIなど最新鋭の機器で検査が受けられるというところ。小社の福利厚生において唯一の贅沢ですな。

 今回、その場で「あー、見つかりましたね」と言われるような大異変はなかったけれど、どうなんでしょう。2〜3週間後に詳細なレポートが届くので、委細はそのときに判明する。問診で、最近の健康状態を聞かれたとき「酒が翌日に残るようになったんですが」と言ったら、医師のペンが一瞬止まったのが妙に気になるんですが。
 だいたい毎年、数値はいいのである。血圧や血液の生化学検査や骨密度や体脂肪率や呼吸機能などなど、以前からず〜っと、年齢不相応によかったのだ。悪いよりはいいに越したことはないけれど「模試番長」みたいな気がしていないでもない。

 2月、ベタベタに遅れた仕事でご迷惑をかけて以来、お会いする機会もなかったK先生から突然電話をいただき、仕事を紹介していただいた。ありがとうございました。ご期待に背かぬよう、鋭意、努力いたします(もちろん締め切りも含めて)。



2009(平成21)年6月11日(木)

債権者ですが、何か?

 雨の中、朝も早よから日本橋へ。件の任意整理についての債権者説明会である。

 10分ほど前に会場に入ると、前方のテーブルに白髪頭が2名、神妙な顔をして着席している。ははぁ、この人たちが経営者かと、一瞥して「ワシの金だけでもさっさと払わんかい光線」を浴びせて正面に座る。

 100名ほどは入りそうな会議室が半分近く埋まっただろうか。定刻の10時、3人の弁護士が経営者の隣に着席したところで、説明会が始まった。進行は左端のN弁護士。まずは自分たちの自己紹介のあと、経営者の挨拶というかお詫びというか事情説明。

 聞けば平成18年度までは、政府広報の出版物で年間10億の売り上げがあったが、平成19年度からそれまでの随意契約が一般入札になって売り上げ半減、昨年はやや持ち直したものの競争激化でことごとく仕事を奪われ、銀行の追加融資も望めず沈没、ということらしい。
 会場は怒号も野次も雑談もなく、さりとて納得しているわけでもない。
「で、なんぼ払うてもらえるんでっか」という関西弁的金払えビームが集中している。

 その後、N弁護士から本日付の非常時貸借対照表を元に、資産と負債の説明。1億8700万円の資産があるものの、金融機関の担保に1億2000万とられていて、従業員の退職金など優先債権者の合計が6000万近くあって、一般債権者は86社で1億7960万だと!
 配当1割以下…。覚悟はしていたものの脱力する。

 質疑応答になっても、声を荒げる債権者はなく『ナニワ金融道』の軽薄企画や『白い巨塔』の繊維問屋の任意整理とは違うのである。
 唯一面白かったのは、「この任意整理にかかる弁護士費用はいくらか?」という質問。そりゃそうだ、乏しい資産からガバチョと持って行かれたらミナミの銭田摺次郎と同じである。
「規定の料金の250万円で最初から最後まで」という回答に、意外に安いのねという空気が漂った(ような気がした)。



2009(平成21)年6月8日(月)

としごろ

 30年来の付き合いながらもしばらく音信不通だった友人が、「HP再開おめでとう」とのメールをくれた。みんなときどき見てくれてるんだ、ありがとねと感謝しつつ開くと「当方は1年のリハビリが終わり云々」とあってびっくり仰天。リハビリとはこれいかに、と尋ねると、1年以上前に脳内出血で入院、右半身麻痺と失語症になっていたという。

 うひょー、知らんかった。
「とりあえず元に戻ってます」ということだが、しつこく尋ねると、救急車を呼ぼうにも電話では会話がまったく成り立たないので、左側だけでゆっくりあるいて病院にいったとか。まずは回復してよかったのう。

 彼は同い年。そろそろカラダに不調のひとつやふたつ抱える年頃かぁ。山口百恵が「めっざめてーくーるーとしごろよ〜」と歌ったときから、約35年でこんな年頃になった。日頃、年齢の自覚がさっぱりこんとないのだが50なんだよなー。
 昨年は仕事仲間がクモ膜下で早世してしまい、つくづく無常の風を感じたのだった。来週はわしも人間ドック。さてさて。



2009(平成21)年6月7日(日)

信義と深慮遠謀と

 世の中に歴史小説のファンは多いけれども、おれはもひとつピンときていなかった。ま、『竜馬がゆく』だとか『花神』だとか『坂の上の雲』だとか司馬作品はフツーにはまって今も4年に1回くらいは再読してきたわけだが、どうも受験科目としての日本史にひどく苦手意識があったのだ。
 それなのに最近、うっかり再読しはじめたら中毒気味にやめられないとまらない状態になってしまったのが『真田太平記』(池波正太郎)だった。人間としての信義だとか深慮遠謀とかに、妙に共感できるようになったということか。新潮文庫版だとやたら分厚い文庫が12巻。週末、一気に7巻まで読み進んでしまった。関ヶ原で負けるはずのない西軍が負けてしまいました。

 歴史学者の秦郁彦さんによると、歴史には「教訓」「説得の技術」「エンターテイメント」という3つの効用があるという。なんとなく皮肉っぽくてなるほどーとうなづくのである。野球と歴史小説に学ぶヒトはたくさんいるみたいだしな。



2009(平成21)年6月1日(月)

直撃!

 夕方、事務所に戻ってきたらファックスが届いていた。
「御挨拶」というタイトルの堅苦しい書式で、日時と場所が最初に目に飛び込んできた。

 6月11日ね、日本橋か。なんかの発表会じゃろか?と思って、その手のリリースでは問い合わせ先が記されている下欄部分を見ると、N本・Y葉弁護士事務所とある。いやーな予感がしつつもよくよく読むと「このたび、当社は今後の事業継続が困難であると判断し、本日をもって業務を終了させていただきます。つきましては……」

 うわー!!!! 債権者会議のお知らせじゃないか。やられたぁ…(泪)。金額はMacBook1台分ほどだが、2月、あちこちに不義理しながら仕上げた仕事だっただけに辛さ百倍。J画報社、政府系ということで信用していた制作会社だったのだがあっけなさすぎ。

 いろいろあって、仕事の将来計画を変更せざるを得なくなっていたのだが、その矢先にこれ。半年続く悪循環の仕上げ?ならいいのだけど。